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黄 :  本日はお忙しい中、取材に応じて頂きありがとうございました。
今年は日中国交正常化40周年にあたり、日中に係わる皆様にお話を伺っております。 松山バレエ団さまは、中国ととても深い係わりがあり、歴史がありますが、中国と係わったきっかけについて、お伺いしたいと思います。

清水 :  そうですね。私の両親でもあり、松山バレエ団創立者の清水正夫、母松山樹子二人が クラシックバレエを通じて、戦後日本人として、アジアの人、とりわけ中国の方々に 日本人としてのきちんとした感謝と謝罪の思いを伝えるべきだと言う考え方を根底に 持っていました。日本が中国大陸で起こしてきた非常に残虐、醜酸な事柄に、 日本人として心からの贖罪の気持ちを抱いていることを、芸術文化をもってして伝えたい ということを、背負おうという決意が強かったのだと思います。 その時に丁度中華人民共和国ができて初めて訪中した帆足計先生らが周総理に 初めてお会いして、周総理から32ミリの"白毛女"という劇画を托され、新橋の土橋に ある場末の、小さな小さな会場で、実行委員会が試写会を開きました。 その後全国を回ったそうですが、その試写会と出会った松山樹子と清水正夫が、 これは舞台になるということを直感しました。これをバレエ化、舞台化するにあたり、 各方面からいろいろな資料をとりよせたりしたことが、中国との深い係わりのきっかけに なったと思います。その前に、清水正夫は建築関係で、松山樹子は芸術の面で、 中国に大変興味を持っていたということもあります。

黄 :  学生の頃"白毛女"を、父に連れられ拝見しました。 多分お母様の松山樹子さまが踊られた舞台だと思います。

森下 :  初演は1958年の日比谷公会堂でした。

黄 :  その前に、私が卒業しました横浜山手中華学校で、"白毛女"を映画で見ました。 革命映画ですね。その後に、松山バレエ団さまのバレエで拝見しまして 感動したのを覚えております。父が東京華僑総会で文化に係わる部署にいましたので、 お父様の清水正夫先生とはたいへん面識があったと聞いています。ですから、 今回のインタビューはたいへん楽しみにしておりました。

清水 :  そうでしたか。華僑の方々、とりわけ華僑総会の方々には、半世紀以上にわたり いろいろな事に教えを請い、援助して頂きました。

黄 :  父は既に引退しておりますが、華僑総会で副会長をしており、文化的な活動に 多く係わって来ましたので、とりわけ京劇やバレエなどと深い係わりがありました。

黄 :  それでは、次にお二人が最初に中国に行った時の印象や感動したことを お伺いしたいと思います。

森下 :  私は1971年に、第二次白毛女を持って訪中公演をさせて頂きました。 松山先生の白毛女を東京で見て、是非先生に教えを請いたいと思っていました。 舞台の上に立つ先生の姿を見ただけで、ぞくぞくとして、これは凄いなと思い、 バレエ団に入れて頂いて、直ぐに中国に連れて行って頂き、しかも、憧れていた先生の 踊っていらした白毛女を、私も踊れることになりました。 初めて中国に行った時に、びっくりしたのは、皆様の笑顔や、明るい表情で、 国交回復前でしたが、とても生き生きとしていました。活気付いていてすごいなと、 感動したのを覚えています。

黄 :  その時周恩来総理に、勿論お会いしたのですね。

森下 :  はい。

黄 :  周総理の印象はいかがでしたか?

森下 :  周総理が白毛女を見に来てくださり、本当に喜んで頂きました。松山バレエ団と 周総理とのご縁は、1955年、松山先生が世界平和大会に出席するためヘルシンキに いらして、その帰りに中国にお招きいただき、国慶節の宴席で、「オペラの王昆先生と、 映画の田華さん松山先生と三人の白毛女がいます」と重大発表され、 「今度は是非白毛女を持っていらっしゃい」とおっしゃって頂き、1958年にはじめて 松山バレエ団が白毛女を持って中国に行ったという経緯があります。 私は71年に周恩来総理に白毛女を見て頂き、終わった後にものすごい笑顔で、 "すばらしかった!すばらしかった!"と力強い握手をして下さり、何て温かく素敵な方 なんだろうと思いました。周総理にお会いできたことだけでも幸せだったし、 周総理が最初に白毛女と松山先生を引き合わせて下さり、そして松山バレエ団が 中国に行くことになり、又私も松山先生に連れて行って頂き、白毛女を踊ることが でき、周総理にもお会いすることができ、しかも凄く喜んで頂き、とても光栄に 思っています。

黄 :  そのニュースは、私も中華学校で聞きました。周恩来総理は皆の憧れのリーダーでした。中国の首脳の中では一番といっていいほど人気のあるリーダーですよね。

森下 :  周恩来総理のことは皆さん尊敬して、やはりそれだけ温かくすばらしい方でしたね。 そして、文化、芸術をこよなく愛しておられました。

黄 :  そうなんです。文化、芸術、スポーツを愛しておられて、私達華僑にも いつも温かい手を差し伸べて下さり、私達華僑も皆尊敬しておりました。 ですから、間近でお会いして、きっと感動があるのではないかと思いました。

森下 :  たいへんお忙しい方なのに、公演には駆けつけて来て下さり、喜んで下さいました。

清水 :  いろいろな配慮もして下さいました、その時は多分、上海バレエ団が延安で 白毛女を公演したというが記事に出ていました。

森下 :  松山バレエ団は71年に延安で白毛女の公演をしました。その時の公演場所は劇場で、 オーケストラボックスが無かったのですが、わざわざ作って下さいました。

清水 :  オーケストラボックスを掘って下さることになり、その指示を周総理が 全て出してくださいました。

黄 :  そうですか。松山バレエ団ならではの思い出ですね。
長い間中国のバレエと係わって来られて、交流もあったと思いますが、 今の中国のバレエは技術的にどうなんでしょうか?

清水 :  旧ソ連から受け継いだきちっとしたテクニック、教育方法を先輩達が守り育て、 自己犠牲もいとわない強い心をもって築き上げてきました。 これは他の国のあり方とは全然違います。世界でも一級のレベルです。

黄 :  それは今の中国の若いバレリーナーに言えることですか?

清水 :  そうですね。先人達の苦労を、クラッシック界や芸術界の若手達が更に学ぶと 更にすばらしくなると思いますよ。

黄 :  前に上海バレエ団を取材に行ったことがありますが、辛リリさんというバレリーナーを 取材したのですが、その時彼女はフランスの何かの賞を頂いたという直後で、 目の前で踊って頂き、素人ながら素敵だなと思いました。 ですから、その時から中国のバレエは結構レベルが高いのだと感じました。

森下 :  レベルはすばらしいです。世界的なコンクールでも上位にいつも顔を出しています。 私も何回か審査員をしましたが、いつも中国の方が上位をしめていますし、 すごいなと思います。

黄 :  表現力とか基礎がきちんとしているのですか?

森下 :  そうです。だからやっぱり先人や先輩方の努力、土台があってこそ、 今の中国のバレエ界が高いレベルになっているのだと思います。

清水 :  そうですね。革命前から、ソビエトの様々なそういう基礎が入り、 軍服を着ながらレッスンをして、魯迅芸術学院で白毛女の台本ができ、 映画も王昆先生が参加してそれを土台に作ったそうです。そういうきちんとした ソビエトの基礎がありました。ソビエトの基礎はフランスやデンマーク、 イタリヤなどヨーロッパツァーから来ていました。ですから中国のクラシックの バレエ界は最初からきちんとした基礎を頂いてしまったということになります。 後に文化革命後、世界各国の様々なメソットの技術を取り入れ、 それが今日又すばらしく花をひらき、世界でも特質したクラッシックバレエの 世界です。

黄 :  北京にもソ連が造った劇場がのこっていますよね。 何回かそこで中国のバレエを見たことがあります。 その劇場はソ連の人が来て建ててくれたと聞いています。

黄 :  2011年に新白毛女の中国公演をなされ、盛んに日中の文化交流をされていますが、 今年40周年を向かえ、今後松山バレエ団としてどんな交流を考えていますか?

清水 :  去年この新白毛女を多くの方に支えていただき、命を賭けるほどの情熱で創りました、 それはある意味日中関係が難しい状態にある今、長い中国の人々との友好の歴史のある 松山バレエ団の出番だと思ったからです。日本でも公演しましたが、中国での公演では、 おかげさまで大絶賛を頂きました。この新白毛女はやはり原点に戻り、日本人として 白毛女を上演する意味と意義を考え創りました。そこ知れぬ深い情愛物語でありますが、 清水正夫や松山樹子が、戦争が起こした日本人としての苦しさを背負ったという精神を 引継ぎ作りました。そして中国の方に対する感謝と謝罪を踏まえたメッセージを強烈に 出しました。現在に於いて、このようなメッセージを発信できるのは私達しかいない という考えでもあります。舞台の上からのメッセージです。
松山バレエ団は周恩来総理からもバレエ白毛女の生みの親と言って頂き、 中国の方達にも喜んで頂いた歴史があります。今後は世界を担う若者に、 深い意味での勉強をしてもらい、中国との交流を深めてもらいたいと思い、 そのお手伝いをしていきたいと思っております。これからの日中友好を担う、 10代、20代、30代の方達を、40代、50代、60代、70代の方々がうまいこと方向を定め、 決定していくべきだと思っています。ですから、今後松山バレエ団は、積極的に 日中の若い人達同士の交流、若い人たちをバックアップしていきたいと思っています。

黄 :  とても嬉しいお言葉をありがとうございます。私もこれかの日中は若い人たちが担う、 若い人たちの時代だと思っているのですが、ところが、なかなか若い人たちの交流が 盛んに行われていないんですね、ですからこれからは政治や経済の影響を受けない 文化の交流から、例えばバレエとか芸術などから交流するのが一番交流しやすいのでは ないかと思っています。特に松山バレエ団さまは昔から交流を盛んにやって頂いている のですが、今後はバレエ界のみならず、バレエの枠から出て、お互いの国の文化と通じ て、理解が深まれば良いなあと思っています。

清水 :  おっしゃりとおりです。一番やり易いのが芸術からだと思います。

黄 :  是非よろしくお願いいたします、私達もできることがあればご協力していきたい と思っております。

清水 :  ありがとうございます。心強いお言葉です。

黄 :  最後になりますが、お忙しい毎日でいらっしゃると思いますが、お時間がある時や 余暇など、お二人でやることとか、趣味などありますか?

森下 :  大体バレエのことばかりです。芸術を通してたくさんの方々に幸せをお届けしたい と思うことと、特に中国と日本の友好を深めていきたいと思うのと、先人や先輩の 方々のご苦労や困難を乗り越えての今日があるので、それに対しての感謝と日本人 としての謝罪の気持ちを持ちながら、芸術を通して皆々様に平和の気持ちをお届け したいと、これしか考えていません。

清水 :  私達は昔から、どこの国に行っても、観光などもせず、劇場とホテルの往復だけです。

黄 :  好きな音楽とかは?

清水 :  おどる音楽になります。

黄 :  やっぱりそうなりますよね。

森下 :  体にしみ込ませなくてはなりませんので。

清水 :  そこから離れられません。生涯をバレエに捧げているので。

森下 :  それが一番幸せなんです。

黄 :  何かお食事などで気をつけていることは?

森下 :  食事はきちんと頂いて、お稽古に臨んでいます。減らしたりとかはしません。

黄 :  三食きちんと頂いているのですね。

森下 :  いいえ。一食です。

黄 :  何か好きな食べ物は?

森下 :  お肉とか。なんでも。中国の食事は美味しいですよね。

黄 :  はい。三食中華を食べて飽きませんね。

清水 :  天津で公演した際は、舞台の合間に中間食、たくさんのおやつを持って来てください ました。私達は舞台の前はたくさんはいただけないのですが、たくさん持ってきて くださるあたたかいお心遣いがとても嬉しかったことをなつかしく思い出します。

黄 :  中国は食文化が重要視されているので、食べることは重要で。 大事なおもてなしなんです。

清水 :  そのとおりですね。映画を見ても、何を見ても、食べることばっかりですよね。"笑"

黄 :  私達も中国に行くと、やはり食べることは楽しみです。

清水 :  そうでしょう。政治、経済、思想、哲学、芸術、産業といろいろなことがありますが、 こういう時こそ、文化、芸術に携わる者は、出番だと思いやらなくてはなりませんね。

森下 :  そう思います。

黄 :  是非今後とも日中の為にいろいろなご活躍と、若い人の交流や育成などに 尽力頂ければと願っております。本日は本当にありがとうございました。

清水 :  こちらこそ本当にありがとうございました。



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