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黄 :  大使は1975年に創価大学の第一期留学生として日本に来たと聞いておりますが、その時の印象と、なぜ日本の大学に行こうと思ったのか、その心情やエピソードをお聞かせください。

大使 :  正確に言いますと、私たちは1973年に新中国からの第一期留学生として日本に参りました。
そのきっかけというのは、1972年に中国の国交正常化が実現され、外交官の研修という形で、日本の外交官研修生は北京へ、中国からは日本へということで、私は中国側の研修生の第一期生として日本に参りました。
しかし、当時、一般の国立大学では中国からの留学生を受け入れることが出来ないと言われ、最初は和光大学へ行きました。和光大学では1973年から1975年までの2年 間勉強しましたが、授業の科目に様々な問題があり、1975年に、創価大学が私たちの要望に応える形で、いわば日本語学科というようなカリキュラムを構築する為に教授たちを集めて頂き、私たちは正式に創価大学に留学をすることになりました。創価大学は、中国からの留学生を正式に受け入れた日本で最初の大学となりました。

黄 :  創価大学で勉強をされている時に印象深かったことはどのようなことですか?

大使 :  そうですね。私たちが第一期目の留学生という訳ですから、全く何の経験や情報も ありませんでした。日本人学生と一緒に泊まり込み、食事も日本人と同じ物でした ので、朝の食事で納豆と生卵が出て来た時には正直ショックを受けました。中国とは全く違う生活感でしたから。
しかし、その間に、日本人の教師、学生たちに本当に温かくして頂き、交流を深めることが出来ました。それを通じて日本の文化への理解が深まったと言えます。そして、創価大学在学中に一番印象深く思い出に残っていることと言えば、周恩来総理を記念して周桜を植えたことです。それは、私たちの入学の際に創価大学の創立者である池田大作先生が周恩来総理との会見をされて、その別れ際に池田大作先生が周恩来総理に対し、また是非日本にお越しださいと話したところ、周恩来総理は大変嬉しいお誘いですが、健康状態を考え、無理かも知れないと答えました。すると、池田大作先生は周恩来総理を記念して周桜を植えることを提案をされました。そして、その年(1975年)の11月始めに創価大学のキャンパスに周桜が植えられました。日本の多くの友人も、中国の国民も皆、周恩来総理に対しは特別な深い尊敬、敬愛という感情を持っていました。桜の名所と言えば関西では京都、関東で言えば八王子と私は思っております。今でも毎年春には周恩来総理を記念した観桜祭が行われています。

黄 :  なるほど。 大使は5度目の日本での勤務ですが、その都度感じられた日本の変化などをお聞かせください。

大使 :  そうですね。今回が日本での5度目の勤務になりますが、今まで70年代、80年代、90年代日本に滞在した事を振り返ってみますと、それぞれの時代的の特徴や移り変わりを感じます。
70年代最初に日本に来た頃は、高度成長期がちょうど終わりの頃で、オイルショック、ニクソンショックが起きたばかりで、日本は非常に近代化に向かっていました。中国はまだ文化大革命の間でしたから、格差が非常に大きかったと思います。そして、日本においては環境汚染、大気汚染という問題があったと記憶しております。
その後の日本の経済、社会の発展の中で、環境対策が進められ、空気が綺麗になり、水も綺麗になり東京湾の魚が戻って来ました。それとは対象的に中国では文化大革命の混乱を終えて、改革開放の道を歩み始め、経済発展が益々早くなりました。その間に経済の格差というのはだいぶ縮まったと感じました。しかし、一方においては大気汚染やそういった問題も地方によっては大きかったですね。そういう点ではお互いに色々と情報交換し、勉強し合い、社会に役立てました。
そして、今回5度目の来日で一番大きな出来事というのは、やはり東日本大震災です。これは、私の5度に渡る日本滞在においても、また、日本においても史上最大規模の大地震であり大津波でした。それに加えて原発の事故、、、本当に大きな災害でした。日本の経済や社会に大きなマイナスの影響をもたらせました。そんな中、日本の国民は、大きな困難に直面しても乱れることなく避難をしたり、災難救助をしたり、あるいは事故の対応という取り組みをしていたという点にとても感心しました。例えば、後で聞いた話ですが、地震が起きた時に大勢の被災者が歩いて帰宅したり、地下鉄のホームで一夜を明かしたという話も聞いております。そういう大災害の中で一緒に困難を乗り越えるのだという気持ちが強く感じられました。私自身も今まで宮城県5回、福島県2回、被災地の現場を見てきました。被災地の惨状はとても言葉では言い表せないほどたいへんなものでしたが、現地の民衆たちの再建、復興への強い気持ちが感じられました。やはりこれが、今回で五度目になる来日の一番大きく印象に残ったことと言えます。

黄 :  次に大使の華僑へ対する想いをお聞かせください。

大使 :  私は今まで、日本と中国、そして華僑の皆さんと随分交流をして来ました、そしてお世話になってきました。華僑の祖国に対する気持ちには大変深いものを感じます。
老華僑というのは一般的には戦争前から日本に来ている人をいいます。その頃を想像すると大変厳しい環境だったと考えられます。さらに戦後において1972年までは日本が中国に対して今とは違った政策をとっていました。故に華僑たちは祖国に対して大変深い感情を持っていました。そして、彼らは祖国中国に対し経済支援をしたり、自分の故郷の建設の支援をしたりして来ました。そういったことは大変素晴らしいと思います。
そして、現在では新華僑と言われる人たちも沢山日本に来ています。彼らは改革開放以後、日本に留学に来たり、日本で事業を興したり、あるいは就職をしたりして日本に住み着いた人達です。彼らも同じく祖国に対する想いは深く、日本での事業の発展を図ると同時に、祖国に対する経済活動の支援など多くされています。華僑の皆様のこういった感情、行動に対して敬意を表したいと思います。

黄 :  私は日本で産まれ育った二世なのですが、やはり、心はいつも祖国に向いております。それは中華学校で民族教育を受けたこともありますが、祖国が強くなれば私たちが日本で生活して行くことに色々と有利な点が増えます。それが実生活の中でとても感じられました。祖国中国には偉大で、いつも私たちの先鋒でいてもらいたいという気持ちがあります。ですから、オリンピックなどではすごく興奮して、中国を大声で応援したりしています。

黄 :  次に、大使はとても日本通と聞いておりますが、今後の日中友好の展望についてのお話をお聞かせください。

大使 :  中国と日本はお互いに隣国であって地理的にも近く、歴史的交流も長い。歴史的な記録だけでも2000年の文化があります。その間に様々な交流をして社会の発展に役立って来たと思います。特に中国と日本は文化的に非常に近い。欧米の文化と比較してみると、一番分かりやすいのが漢字を使うことです。漢字を使っている国は世界でも少なく、その中で中国と日本は漢字を使って交流できるという点では特別であり、文化的親近感があると思います。現実的に見れば、確かに両国の間に様々な問題もあります。しかし、問題は無視することなく、また、一方でわざと荒立てることも必要ないと思います。両国の間で着実に一つ一つそういった問題を解決し、それを乗り越え、国交正常化の動きの一つの言葉、一つの精神、勝因を残して外交に持ち込み、共通点あるいはプラスの面に着目をして、お互いに共同の利益や両国の関係を発展させることによって、さらに成果を拡大し、そして国民の感情、あるいは国民の理解を得るという形で本当の戦略的互恵関係を推進することができるのではないかと思います。
来年がいよいよ国交正常化40周年になります。これをきっかけに両国の関係が政治、経済、文化、様々な面で一段と進み、一つの高まりを見せられるよう、努力をしていかなければならないと感じております。さらに長い目で見ると、私はやはり中国と日本は良きパートナーとして、お互いに協力し合えば、日中関係は益々友好的に発展出来ると期待しております。

黄 :  日本と中国が仲良くなるには『文化』という面での交流が大事だと考えております。特に若い人の文化交流をこれから働きかけて行きたいと思っております。日本で私たちが中国に関する文化的なイベントなどをすると、年配の方はよく集まってくれますが、若い人にはなかなか集まってもらえないということを感じています。これからは若い人も興味を持つような中国と日本の文化の交流を目標にして行きます。是非、大使を始め大使館の人たちにも協力を頂き、文化的な交流を民間レベルで推進して行きたいと思っております。

大使 :  そうですね。もっと広い意味での国民の間の交流が出来るように知恵を絞ってもらって、進めて行って貰いたいですね。

黄 :  今後とも、そういう面でのご指導ご協力を宜しくお願い致します。

黄 :  最後になりますが、大使の趣味についてお聞きしたいと思います。大変お忙しい毎日だと思いますが、休日とかはあるのでしょうか?

大使 :  カレンダー上には休日はありますが、中国からの代表の来日などと色々な仕事があり、実際にはほとんど無いに等しいですね。しかし、長年仕事の関係での必要上、毎日新聞を読まないと一日が始まらないという感じがします。それも一つの趣味になるのかと思います。新聞がないとそわそわして、何か落ち着かないという気になってしまいます。

黄 :  やはり中国語の新聞ですか?

大使 :  中国語の新聞も日本語の新聞も読みます。それが習慣になっています。それ以外だと、時々本を読みますが、一日じっくり座って読むというのはなかなか難しいですね。それから、机に向かっての仕事が多いのですが、子供の頃から身体を動かすことが好きで、水泳、サッカー、アイススケート、バドミントン、スキーなどをしていました。
今はこういう歳になり、サッカーとかバドミントンはちょっと無理を感じますが、時間があれば水泳はしています。また、散歩あるいは、山の坂道を登るといった、山登りというよりは山歩きもします。

黄 :  先ほど大使がおっしゃった水泳、スケート、サッカーなどは、今、日本が盛んに取り組んでいるスポーツでもありますね。中国も今まで活躍していなかった、テニス、ゴルフ、フィギュアなどの分野で、段々と世界のレベルに達しているのではないでしょうか。是非、どの競技でも中国が金メダルを狙えるような選手を育てて欲しいと思っております。

大使 :  そうですね。そう願いますね。

黄 :  日本の食べ物で好きな食べ物はなんですか?

大使 :  日本の食べ物では、お寿司とかお蕎麦をよく食べますね。今は外出をすることが少なくなりましたが、かつての日本勤務の時には日曜日に時々自分で街に出て、お寿司とかお蕎麦を食べに行きました。

黄 :  そうですか。日本の人は中華料理がとても好きですが、大使のお薦めする中華料理で一番美味しいぞという物はなんでしょうか?

大使 :  日本には中華料理のお店も沢山ありますし、材料も豊富ですよね。世界の他の地域に比べてもこの点は言えます。お店が多く材料が豊富。日本料理に使う材料の中で、中華料理の材料としても使える野菜などが割と多いのです。それから、近年は特に日本での中国野菜の栽培もかなり普及してきました。チンゲンサイやシャンツァイなど、70年代、80年代には何処に行っても買えなかったような野菜が今は簡単に買えるようになりました。中国の家庭料理でも街の中華料理店で簡単に食べられるようになったというのは大変嬉しいことです。

黄 :  ラーメンも好きですか?

大使 :  ラーメンもそうですね。日本のラーメンも美味しいですね。

黄 :  中国の友人たちも日本のラーメンは美味しいと言っていますね。私は反対に中国へ行くと中華料理が美味しいなぁと、朝から晩まで中華料理三昧です。それぞれの地方の味があって、特に北京なんかへ行くと羊のしゃぶしゃぶが大好きですね。

大使 :  そうですね。中国は本当に東西南北それぞれの食文化がバラエティに富んでいて、それぞれの特徴、あるいはその美味しさがありますね。

黄 :  はい。それから音楽など聞かれることはありますか?

大使 :  音楽はそうですね、一つは趣味の鑑賞として、もう一つは仕事の疲れを癒すという意味においても非常にいいと思っています。時々、夜、といっても仕事終わりはいつも一時位になってしまいますが、10分〜20分音楽を聴いて気持ちの安らぎを感じています。

黄 :  どんな音楽がお好きですか?

大使 :  どちらかというとクラシックが好きですね。夜中にジャズなんかを聴いてしまうと余計に興奮しちゃいますからね。なるべく気持ちを落ち着かせるような音楽がいいですね。

黄 :  有難う御座いました。私も是非、今後とも日本の各界の方々、それから華僑の人たちと交流を深め、日本と中国の友好の為に力を注いで行きたいと思っております。

大使 :  そうですね。私も是非皆さんと協力をして仕事を全うして行きたいと思います。また、中央人民広播電台の日本語版サイト『voice of china』も来年いよいよ5周年を迎えますね。本当にこの5年近くの間ご苦労さまでした。皆さんの努力のお陰でここまで発展したと思います。さらに、来年の5周年をきっかけに、さらなる飛躍と大いなる発展を願っております。

黄 :  本日はお忙しい中、どうも有難う御座いました。
是非、『voice of china』のホームページも見て頂き、ご意見など聞かせて頂ければと思います。本日は本当にどうも有難う御座いました。



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